斎王の役目を終えた後の人生は、結婚するもの、未婚のままおえるものなど様々でした。
徽子(よしこ)女王は、規子(のりこ)内親王の母親であり、規子内親王が斎王に選ばれた際は、ともに伊勢に群行しました。また、三十六歌仙に選ばれるほどの和歌の詠み手として活躍しました。
一方、隆子(たかこ)女王は、病気により在任中に若くして亡くなられたと考えられています。隆子女王の墓は、明和町内にあり、現在も宮内庁管理のもと、ひっそりと眠っています。